魔法・魔術の起源と意味
科学が万能となった現代、魔法を信じることが出来るのは、幼い子どもだけになってしまいました。
しかし「魔術」の本当の意味を知らないまま、魔法を信じない大人は結構多いのです。
悪魔的な魔法を求めるのではなく、源流をさかのぼることで魔術本来の意味を少し説明いたします。
魔術師と聞くと、真っ黒な衣装を身にまとい、複雑なシンボルや十字架を手に取っている姿で、
霊を呼び出したり、対面してその霊をおとなしくさせようと、魔法の武器を集めては呪文を唱える…
そのような姿をを思い起こさせます。
これは、魔術の側面としては事実かもしれません。
しかしもう一つの側面…それは、オカルト体系と呼ばれる象徴体系の意味を持つことを表します。
その一部として存在していた概念を述べてみましょう。
「オカルト」という単語はたんに「隠された」という意味に過ぎません。
それは「秘密にしておかなくてはならない」 という気にさせるような知恵の体系のことなのです。
だれでも、「内緒ね!」と言われると、ついつい言いたくなったり、知りたくなったりします。
古代の人は、神の像のまわりにその神を象徴するたくさんの品々を集め、
本当の神から明かされた「秘密の呪文」を唱えることで、像に生命が吹き込まれたり、
神々が自分や人に乗り移ったりするといった話も記録されているようです。
魔術師が対面する霊は、実は魔術師本人の一面を表すと解釈され、
完全に統一のとれた人格をはぐくむためには、自分自身を征服するという
心理的・精神的な個性化過程を置き換えたものだとして、近代理解されるようになりました。
さらに、中世ヨーロッパでは「黄金の夜明け」という秘教体系を軸とする団が設立されましたが、
そのような集団の最高位に昇格したものたちだけが就ける任務がありました。
それは、占い、魔物の召還、神通力などと呼ばれるものでした。
占いの任務についた魔術師は、タロットや易のような象徴体系を使って行いました。
また、神通力を呼びさまそうとする場合は、自分の意識の一部分を示す一種のイメージシンボルを
まわりにおいて、しかるべき心境に達することが出来るというものでした。
魔術やオカルトという言葉は、古代から神々との交信や交霊を行うことを
世の愚かな人々の眼から隠すために、人間が考え出してつけた名前であるに過ぎません。
魔術は今でも存在しています。
真実を認識している魔術師は、人の愚かさも醜さも知っていますので、
自分が魔術師だ!などとは絶対に公言しないものなのです。
モーツァルトを知らない人はいないでしょう。
彼は18世紀のヨーロッパにおいて、秘密結社「フリーメイソン」に加入していました。
そして不思議と神秘の世界を音楽に託して作品を創作したようです。
「魔笛」という有名なオペラは傑作といわれ、秘儀の過程を豊かに象徴している作品として
結社に残していかれたそうです。
また同じ時代、ゲーテは詩や文学でその神秘の世界を描き出しました。
ウイリアム・ブレイクは画家としても多くの象徴画を製作しましたし、
スウェーデンボリは霊との交信について、ロバート・フラッドやミヒャエル・マイヤーらは、
宇宙と創造の神秘についての論客となりました。
天才と呼ばれた彼らはまた魔術師でもあったのです。
魔術とは、実は「神的コミュニケーションの一つ」なのです。
コミュニケーションは人と人が生きることを共有するための手段ですよね。
言葉、音、形態や色彩、匂いや身振りなど身体に付属する五感で識別できる記号表現を使い、
情報や感情・こころを共有する行為として認識されるものです。
私たちが日常、目にしたり耳にしたりする全ての事柄は、共有する「コム」の一部なのです。
たとえば一人の音楽家の演奏を二人の人間が鑑賞するとき、その二人と音楽家との間には
感動や美の共有があります。
それと同じように一人の人間が他者と共有するものが「神的エネルギー」であるときに、
それを「魔術」「魔法」と呼ぶのです。
この「魔術」は、発する側が「魔術師」又は「魔法使い」となり、
受信者側がもともと持っている神的なエネルギーを共鳴させようとします。
このコミュニケーションが高度化したものが「詩、音楽、絵画」などの芸術となって、
私たち受信者側に「美意識」や「神秘体験」の追体験を共有させてくれるとされているのです。
私たちがそのことに気がつくならば、ジーニーの力が解放されます。
そしてあなたの神的なエネルギーとともに魔術によるコミュニケートが可能となるのです。
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